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ウェブの根底にある考え方は1980年にティム・バーナーズ=リーがロバート・カイリューと構築したENQUIREに遡ることができる。その名称は Enquire Within Upon Everything というビクトリア朝時代の日常生活のハウツー本に由来していて、バーナーズ=リーが幼少のころを思い出して付けたものである。それは現在のウェブとは大分違うが、根本的なアイデアの多くを含んでおり、更にはバーナーズ=リーのWWW後のプロジェクトである セマンティック・ウェブ の考え方をも含んでいた。しかし、ENQUIREは一般に公表されるまでには至らなかった。

1989年3月、欧州原子核研究機構 (CERN) のティム・バーナーズ=リーは「Information Management: A Proposal(情報管理: 提案)」を執筆し、ENQUIREを参照しつつさらに進んだ情報管理システムを描いた[1]。彼は1990年11月12日、World Wide Webをより具体化した提案書 "WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project" を発表した。実装は1990年11月13日から開始され、バーナーズ=リーは最初のウェブページ[2]を NeXTワークステーション上に置いた。

その年のクリスマス休暇の間に、バーナーズ=リーはWWWに必要な全ツールを構築した[3]。世界初のウェブブラウザ(ウェブエディタでもある)と世界初のWWWサーバである。

1991年8月6日、彼はWorld Wide WWWプロジェクトに関する簡単な要約をalt.hypertextニュースグループに投稿した。この日がWWWがインターネット上で利用可能なサービスとしてデビューした日となる。

ハイパーテキストの概念は1960年代にまで遡ることができる。テッド・ネルソンのザナドゥ計画、ダグラス・エンゲルバートの oN-Line System (NLS) などである。ネルソンもエンゲルバートも、ヴァネヴァー・ブッシュのマイクロフィルムベースの夢の装置 memexにインスパイアされたものであり、memexは1945年の論文 "As We May Think" で描かれている。

バーナーズ=リーのブレイクスルーはハイパーテキストとインターネットを結合したことである。彼は著書 "Weaving The Web" の中で、このふたつの技術の結合は双方の技術コミュニティの協力によって成立することを強調しているが、誰もこの提案を取り上げることはなく、最終的に自分自身でプロジェクトを実行したのである。この過程で彼はURIと呼ばれるグローバルな資源識別子を開発した。

World Wide Webは当時実現していた他のハイパーテキストシステムとはいくつかの点で異なる。

WWWは、双方向ではなく単方向のリンクを使用する。これにより、何らかの資源の所有者と連絡を取らなくてもリンクすることが可能となった。これによってWWWサーバやブラウザの実装も簡単になっているが、同時にリンク先の資源がいつの間にか無くなるという問題も発生させることとなる。

HyperCardやGopherとは違い、World Wide Webは独占されておらず、サーバやクライアントを独自に開発し拡張するのも自由にできてライセンスを得る必要も無い。

開発当初、WWWは文字情報を扱うだけの比較的単純なものであった(NeXT上で開発されたためOS自身が文字以外を適切に扱うため、WWWは情報を区別しなくてもよかったというのが真相)。しかし1992年、イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA: National Center for Supercomputing Applications) によって、現在のように画像なども扱えるようになった。同校の学生であったマーク・アンドリーセンらは文字だけでなく画像なども扱える革新的なブラウザMosaicを開発。そしてこのソフトに改良を加えるために無料でソースコードを公開したため、Mosaicはたちまち普及し、WWWは誰でも手軽に使うことのできる世界的なメディアとなった。

1993年4月30日、CERNはWorld Wide Webを無料で誰にでも開放することを発表した。

日本最初のホームページを開設したのは、高エネルギー加速器研究機構所属の森田洋平である。

via: World Wide Web - Wikipedia

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